このおはなしは、 


向日葵「ずっと一緒に」 
の番外編と、その後日談です。 

ぜひ上記のものを先に読んでから、こちらもお楽しみください。

【櫻子「みんなで作る光のパズル」】 



「そっか……おめでとう。よかったね……よく頑張ったね」 


三月下旬の、まだ少し寒さが残っているとある夜。撫子はベランダの窓を開けて柵に肘をつき、夜空を見ながら電話の向こうの女の子を何度も褒め称え、労いの言葉をかけていた。 

話している相手は撫子の妹さんの幼馴染であり……もちろん撫子とも親交の深い、本当の妹同然の女の子である、向日葵ちゃん。 

向日葵ちゃんは今日が受験した高校の合格発表日だったらしい。ならば今日という日はきっと色んな人に合格した旨を伝えるので忙しかっただろう。だからこそゆっくり話のできるこの夜を選んで撫子にかけてきているのかもしれない。 


「え、不安……? 心配ないってひま子なら。面倒見のいい学校だからさ、そんなに張りつめなくても普通にコツコツやってれば大丈夫だよ」 


撫子は半分だけ振り返って私の方を見た。「だよね?」とでも言いたげな目で訴えられた私は、同じようにして視線だけで「そうだね」と返す。 


「うん……うん。とにかくおめでとう。私も何か合格祝いしなきゃね……いいよいいよ遠慮しなくても。ゴールデンウィークあたりはそっちに帰れるかもしれないから、その時にでもさ……うん」 


賞賛の言葉を何度もはさみながら、撫子はゆっくりと電話を切った。室内に戻り扉を閉め、私の目の前に座る。 


「受かってたんだ」 

「うん。まあひま子なら絶対大丈夫だと思ってたけど……」 


撫子は安堵と喜びを織り交ぜたように微笑んでいたが、その目にはどこか心残りなことがあると思わずにはいられなかった。 


「……どうしたの?」 

「ん、いや……これでひま子と櫻子は、本当に違う道を歩むことになっちゃったんだなって思って……」 

「…………」

「こんなこと言ってももう遅いけど……あの子、バカすぎるよ。黙ってひま子を手放すなんて……」 


「ひま子みたいな良い子には……何度人生をやり直したとしたって、そう簡単には会えないよ……」 

「撫子……」 


撫子は携帯を机の上に置き、両手を合わせてうつむいた。深すぎるため息をつき、しかし目の前の私がいることに配慮して「あ……ごめん暗くなっちゃって」と謝った。 


「もう、わたしに気なんか遣わないで?」 

「うん、でも……ごめん……」 


こんなに元気のない撫子を私は初めて見た。年数にしてみればまだそこまで付き合いが長くない私たちとはいえ、非常に撫子らしくないと思える。 

だがつまるところ今の撫子が抱えている失望感は、私なんかには到底想像がつかないほど大きなものなのだろう。大切な人たちの一生が芳しくない方向に左右され、そして取り返しがつかないかもしれないとまでくれば…… 


撫子はぎゅっと拳を固くにぎると、またすぐに携帯をとって寝室に向かった。 


「ごめん、ちょっと……今日はもう寝るね」 

「うん……おやすみ」 

「おやすみ……」 


時刻は夜9時30分。撫子がこんな早い時間に眠ってしまうはずはなかった。もう一度電話をするために部屋を移したのだと思える。 

決して厚いわけでもない仕切り一枚隔てただけの私がいる部屋には、当然電話の声は聞こえてきてしまう。撫子は会話を聞かれること自体は別に気にしてないようで……きっと今からする電話で泣いてしまうかもしれない自分を、私に見られるのが恥ずかしいのだろう。 

恥ずかしがることなんて全くないのに……私は撫子以上に妹想いな人をこの世で見たことがない。それは私が撫子を好きになった、たくさんある部分のうちのひとつだ。 


『……うん、電話来たよ。ひま子無事に受かったんだね』 


やはりその話し声はどんなにボリュームをしぼっても、この私たち二人しか住んでいない静かな学生用物件の部屋の中では聞こえてきてしまう。 

聞き耳を立てるわけでもなく、勝手に耳に入ってきてしまう撫子の声。 

怒っているのか、悲しんでいるのか。その気持ちは一言で表せるものではないだろう。 

~ 


「ねーちゃん……私、転校したい」 

「……まだ入学式もしてないのに?」 

「こんな学校行きたくない……向日葵のいない学校なんて、一人きりでいく学校なんて、やだよ……」 

「何言ってんの……私があれだけ言っても勉強しなかったのは誰なの?」 

「…………」 

「戦おうとしなかったのは誰なの? 努力をしなかったのは誰なの……?」 


「気づいたら一緒にいる選択肢がなくなってたなんて……そんなの、通用しないんだよ……!」 

「うっ……うぅぅぅ……」 


「……あのね櫻子。中学校を卒業して高校生になる……義務教育が終了して、自分で志望校を選んで高校生になるってことはね、つまり当たり前のように一緒にいられる時間はもう終わりってことなんだよ」 


「そこから先も一緒にいたいなら、自分が努力して掴み取らなきゃいけないの。誰も何も用意してくれないよ……全部自分次第なんだって」 


「櫻子がもっと早くから頑張ってたなら、絶対こんなことにはならなかったんだよ……」 

「うっうっぅ、んぅぅ……///」 


「ひま子は、ずっと櫻子に手を差し伸べてたはずだよ? 私と一緒に来てくださいって、そのための道も用意しようと頑張ってくれてたの、私は知ってるよ?」 


「素直になれずにその道を蹴っちゃったこと、今更になってわかっても……遅いよ……!」 


「今一番泣いてるのは櫻子じゃない、ひま子だよ……っ」 

「ごめん、なさい……ごめんなさぃ……っ///」 


「謝る相手も私じゃないでしょう……ひま子なんだよぉ……!」 

~ 


パズルの枠の中には、最初から形の決まっているピースが既にいくつか入っていました。 


しかし枠の外にあるのは、同じように形の取られたピースではなく……自分で形を変えて作っていかないといけない類のピース。 


既に収まっているものと合わせて、自分で形作ったピースをそこにはめていって、絵を完成させないといけないのです。 


完成する絵は自分次第。 


思い描いていたものと違う、つまらない絵ができあがってしまうかは自分次第。 


完成せずに、ピースが抜け落ちたまま終わってしまうかどうかも自分次第。 


でも……素晴らしい絵を作り上げられるかどうかも、すべて自分次第です。 



櫻子ちゃんは、いつの間にか完成してしまっていた、黒一色の絵が描かれたパズルの上に座って泣いていました。 


なぜこんなものができあがってしまったのか? 


でも、それを作ったのは間違いなく自分なのでした。 



櫻子ちゃんの涙が黒いパズルの上に落ちると、ぴったりとはまっていたはずのピースにひびが入り……くずれてバラバラになりました。 


自分の望んでいない形に作られていたピースも元通り。また最初と同じようにして、1から作り直しです。 



今度は失敗しないように。 


完成した絵を見て笑えるように。 


櫻子ちゃんはピースの形を、一生懸命変えました。 



一生懸命になった櫻子ちゃんの周りには、いつの間にか撫子さんや花子ちゃんたちが集まっていて……気づけば一緒にピースを作ってくれていました。 


みんな、目指している絵は同じなのでした。 


これから先もずっと輝き続ける、そんな光のパズル。 


―――――― 
―――― 
―― 
― 

楓がうちの門の前でまっていると、「ごめんごめん、ちょっと遅れちゃったし」と言いながら花子おねえちゃんがでてきました。 


「だいじょうぶなの、まだ時間はぜんぜんまにあうの」 

「ありがとう楓。じゃ、いこっか」 

「はいなの♪」 


花子おねえちゃんと同じ学校にかよう楓は、まいあさ花子おねえちゃんとまちあわせして、二人でいっしょに学校へいきます。 

楓もいまは、りっぱな小学三年生。花子おねえちゃんは五年生です。 


「楓、三年生の勉強でわからないこととかない? 大丈夫?」 

「へいきなの。宿題もわからないところは、おねえちゃんが教えてくれるの!」 

「そっかそっか。まあ楓は頭いいもんね」 

「そ、そんなことないの……///」 


そのとき、楓たちが歩く横をじてんしゃが通って……楓たちの前でききっと止まりました。 


「あ、櫻子おねえちゃん!」 

「おはよう楓」 

「なにやってんだし……早くいかないと遅刻するよ?」 

「へーきへーき、この後飛ばせばいいだけだもん」 


じてんしゃを押して一緒に歩いてくれる櫻子おねえちゃんは、いつもどおりに元気そうだったけど……むかしよりもどこか大人しい気がして、楓はちょっとだけへんに思ってしまいました。 

これが、大人にちかづいたってことなのかなぁ…… 

「楓、三年生はどう? 勉強とか難しくなったりしない?」 

「だ、だいじょぶなの」 

「っていうかそれ今花子も聞いたとこだし……」 

「そうなの? ……でもさー、小学校の三年生くらいから勉強って難しくなった気がするんだよね、私」 

「たしかに、ちょっとずつやることは変わっていってる気がするの」 


「でしょ? だから……置いてかれないように……頑張らなきゃだめだよ?」 

「…………」 


櫻子おねえちゃんは笑ってたけど、心からのえがおではなかった気がしました。 

そんな櫻子おねえちゃんのおなかをひじでつつきながら、花子おねえちゃんは言いました。 


「そんなのは花子たちはわかってることなの。早く学校行ったら?」 

「も、もう冷たいなー……じゃなくて、言いたいことがあったの。楓に」 

「?」 


「楓、今日って時間ある? 学校終わってから」 

「うんっ、今日はいつもよりはやくおわるとおもうの」 

「んっ、じゃあちょうどよかった。私も今日割と早く終われるから……そうだなぁ、帰ってきた頃に迎えにいくよ。私の部屋に来てほしいの」 

「櫻子おねえちゃんのおへやに??」 

「な、何を企んでるし……?」 

「企んでるとかじゃないけど……楓と話したいことがあってさ。あ、花子は聴いちゃだめだからね」 

「なんでだし!」 

「ふたりだけの秘密なの。じゃあ楓そういうことだから……寄り道しないで帰ってくるんだぞー」 

「わ、わかったの」 


櫻子おねえちゃんはそういうと、ペダルを大きくこぎながらぐんぐんと行ってしまいました。楓は花子おねえちゃんと顔を見合わせます。 


「何のつもりだし? 櫻子……」 

「ん~……」 


楓はあまりよくわからなかったけど……でもなんとなくその“話したいこと”は、おねえちゃんのことだろうなぁと思いました。 

~ 


「はい楓、ジュースもってきたよ」 

「ありがとうなの♪」 


学校が終わって家にかえるとすぐに櫻子おねえちゃんがきて、そのままいっしょに櫻子おねえちゃんのおへやにいきました。 

このおへやで櫻子おねえちゃんと二人きりなのは、楓はすごくひさしぶりでした。いつもはおねえちゃんか花子おねえちゃんがいっしょにいたからです。 


「えーっと……楓、三年生になって携帯持たされるようになったって聴いたんだけど、本当?」 

「うん。こども用のやつだけど、これでお母さんとかおねえちゃんとおでんわしてるの」 

「よし……! 楓、私と電話番号交換しよう?」 

「うん、いいよっ」 


楓がけいたいをわたすと、櫻子おねえちゃんはとてもなれた手つきですばやく番号をこうかんして、いつでもかけられるようにとうろくしました。 


「これで楓と……いつでも話せる……」 

「ふふっ、櫻子おねえちゃんそんなに楓とおはなししたかったの?」 

「……うん、したい。私これから……たまにだとはおもうけど、楓にいっぱい電話するかもしれない」 


「でさ、楓にお願いしたい……守って欲しいルールがいくつかあるんだけど」 

「るーる?」 

「聴いてくれる? すっごく大事なことなの」 


櫻子おねえちゃんは、楓の手をとってゆっくり言いました。 


『ひとつ……私と電話してることを、向日葵に絶対知られないこと』 

『ひとつ……私の電話に出るとき、私に電話をかけるときは、必ず向日葵のいない所ですること』 

『ひとつ……今日私たちがこうして会ったことも、向日葵には言わないこと』 

「……とにかく向日葵には全部秘密にして。向日葵に私のこと……何も言っちゃダメ」 

「どうして?」 

「そ、それは……」 


楓のしつもんに、櫻子おねえちゃんは何かを言おうとして……でも黙ってしまいました。 

楓と櫻子おねえちゃんがいっしょにいることはひみつ……でも楓は、櫻子おねえちゃんがいじわるでひみつにしようとしてるんじゃないことはわかっていました。 


「……わかったの。おねえちゃんには全部ひみつにするの!」 

「ほ、ほんと!?」 

「うんっ」 

「よかったぁ……じゃあお願いね。楓がちゃんと秘密を守れてたら、すぐに楓にも私の秘密のことちゃんと話すから」 

「櫻子おねえちゃんのひみつ?」 

「うん……今はまだちょっと言えないんだけど」 


櫻子おねえちゃんはうつむきがちに笑ったあと、すぐに元気になって立ち上がりました。 


「よし、頑張れる気がしてきた……! 楓のおかげだよ、ありがとう!」 

「えっ……楓、なにもしてないよ?」 

「そんなことないよ……誰にも秘密のことだけど、楓が私と一緒にいてくれるから……私はがんばれるんだよ」 

「わぁっ」 


櫻子おねえちゃんは、楓を抱きしめてくれました。 

櫻子おねえちゃんのうでは楓が思ってたよりも細くてやわらかくて……そして、すごく温かかったです。 


「がんばる……がんばらなきゃ……!///」 

「……?」 


楓はきゅっと抱きしめられてるから声しか聞こえなかったけど、櫻子おねえちゃんの声は泣いてるみたいにぐすぐすしていました。 


なんで泣いてるのかは、楓にはいくらかんがえてもわかりません。

~ 


「はぁ? なんでだし」 

「いいじゃん、私忙しいんだよ!」 

「でも櫻子バイトしてるわけでもないし……たまに花子より早く帰ってくることもあるでしょ? それなら今までと変わらないじゃん」 

「そういう忙しさじゃなくてぇ……家でやることがたくさんあるの。そっちに時間を使いたいんだよ……私もたまには当番するからさ!」 

「今までと一緒じゃだめなの……?」 

「お願い花子、お願いっ!」 


一体櫻子に何があったのか。 


さっきまで楓と部屋で二人きり、なにやらこそこそと話をしていたようだし……花子は何故かのけものにされて教えてもらえなかった。 

そして何を隠してるのか問い詰めようとする前に、今度は花子に「夕飯の当番を減らしてほしい」といきなり土下座してきた。 


「……やることってなに? それをちゃんと説明してほしいし」 

「……それは……」 

「言えないようなことなの……? それじゃあ絶対納得できないし!」 

「違うんだよぉ! ……でも、花子は絶対信じてくれないもん……」 

「花子は、ってどういうこと? ひま姉だったら信じるとかそういう話?」 

「そうじゃなくてぇ、うぅぅ……」 



「べ、勉強……したいの……」 

「は……」 


……呆れた。 


そんなの遊ぶ時間を作る言い訳にしか思えなかった。 

お姉ちゃんのくせに……櫻子は花子よりも断然子供っぽい。

「ばかみたい……寝言は寝てから言ってほしいし!」 

「ほんとなんだって! 私先生と話したんだから! いっぱい勉強して、一位になって、それで……」 

「……それで?」 


「…………ぁ」 


「……信じて……もらえないか、そうだよ……全部、今までの私が悪いんだから……」 

「……!?」 


「ごめん花子……私がわがままだったね。当番……今のままでいい」 


櫻子は急に生気がなくなったようにどんよりと俯き、とぼとぼと自分の部屋に戻っていった。 

本当にいったい何があったのか。櫻子のいきなりな主張を花子は心から信じてあげられなかったけど……何かただならない事情があるような気もした。 

それから少したったある日のこと。 

学校から帰ってきた花子は、ものすごくびっくりした。 


リビングで、櫻子が泣いていた。 

でももっとびっくりしたのは……遠くの大学に行っているはずの撫子おねえちゃんが、いつの間にか帰ってきていたことだった。 


「……ありがとうねーちゃん……ありがとう……っ///」 

「……私にできるのはこれだけだよ。あとは櫻子が自分で頑張らなきゃだめなんだからね」 

「うんっ……やる、私やるよ……!」 

「……絶対に、ひま子の元に戻ってあげるんだよ」 


「な、撫子おねえちゃん……!? いつの間に……」 

「花子……悪いんだけどさ、櫻子の料理当番とかその他いろんな家事を、ちょっと多めに代わってあげてあげてくんないかな? 一年くらい」 

「えっ!?」 

「この一年だけでも花子が手伝ってくれたら、それから先はずっと櫻子が毎日当番してくれるってよ」 

「ど、どういうこと……!?」 


撫子お姉ちゃんは櫻子の頭をぽんぽん撫でた。櫻子は泣きながらうんうんとうなずいていた。 

「櫻子はね、今いる高校で一番の成績を取らなきゃいけないことになったんだ」 

「!」 


「一年生の学年末試験で一番をとって……ひま子がいる高校に転校するの。今日私と両方の学校に行って先生といろいろ話してきたんだ。本当だよ」 

「べ、勉強するって言ったのは……そういうことだったの……!?」 

「まあここまでずっと遊んできた櫻子だから、信じてあげられない気持ちもわかるけど……でも、今の櫻子は本気だから。私が保証する」 

「うん、うん……絶対やる、絶対……っ!」 


撫子お姉ちゃんにまで一緒にお願いされたら、花子は了承しないわけにはいかなかった。 

そしてなにより、櫻子の涙が……本物の決意の涙だった。 



「……これから先ずっと、毎日櫻子の料理しか食べれないのはごめんだけど」 

「えっ」 

「でもそういうことなら、多めに代わってあげてもいいし」 

「ほ、本当……!?///」 


「よかったね櫻子……花子に感謝しな?」 

「ありがとう花子、ありがとう……っ!」 

「ん……別にいーし」 

~ 


「撫子おねえちゃん、もう帰っちゃうの?」 

「うん。本当は今日も、休みでもなんでもない日だったんだ……だから急いで帰らなきゃなんだよね」 

「そう……」 


玄関で靴を履いた撫子おねえちゃんは、荷物を持って玄関に手をかけ……また荷物を全部足元に置いて、花子の手を取った。 


「花子……私がいない間、櫻子を支えてあげてくれる?」 

「えっ……!?」 


「ひま子がいなくなって、私もこの家にいない……今櫻子の一番近くにいてあげられるのは、花子しかいないんだよ」 

「……!」 


「本当に、ここでがんばれなかったら、あの子は……あの子たちは、もう一生元には戻れない……!」 


「そんなの私だって見たくないんだよ……お願い……花子」 

「おねえちゃん……」 


撫子おねえちゃんは涙さえこぼしてなかったけど……その声はもうまさに泣いてしまう寸前だった。 


「櫻子がダメになりそうなときは思いっきり怒っていいよ。櫻子がまたバカな間違いをしそうになったときは、遠慮なくひっぱたいてもいい」 


「でも櫻子が頑張ってるとき……その頑張りがすぐには報われなくて、心が弱って傷つきそうになってるときは……櫻子のこと、うんと褒めてあげてほしいの!」 

「っ!」 


「これって……花子にしかできないことでしょ?」 

「……うん……」 


優しくて綺麗な目に見つめられて……花子の方が目を逸らしちゃった。 

櫻子を褒めるなんて、今までぜんぜんやったことなかった。 


「もちろん花子がさびしいときも櫻子に頼っていいんだからね。恥ずかしかったら私でも……電話する時間くらいなら、いくらでもつくってあげられるから」 

「……わかったし。櫻子のことは、花子に任せて」 


花子はまだいまいち何をしてあげればいいかもわからなかったけど……撫子おねえちゃんに安心してほしくて、自信を持って頼まれた。 

花子だってもう五年生。花子だってもう10歳になった。撫子おねえちゃんのために、櫻子のために……できることがあるなら、全部してあげたかった。 

~ 


「櫻子?」 

「んっ……なに?」 


部屋のドアを開けると、勉強机に向かってせっせと頑張ってる櫻子がいた。 

ここまでずっと一緒に暮らしてきたのに、生まれて初めて見る櫻子のそんな姿はなんか不自然でおかしくて……でもかっこよかった。 


「……がんばってね。花子も応援してるし」 

「……うん! ありがと」 


「…………」 

「えーっと、次の問題……んー……」 


視線を戻して問題集とにらめっこしている櫻子の……背中にだきついた。 


「えっ」 

「頑張って……おねえちゃん」 


今の櫻子には、花子しかいないんだって。 

そんなこと、初めてだし。 

いつも誰かに囲まれていた櫻子。 

やっと二人になれたと思ったけど……でも櫻子も、もう一番好きな人に向かって歩き出しちゃってるんだね。 


だったらもう、花子は応援してあげることしかできないし。 

大好きな櫻子が、一番大好きな人とこれからも一緒にいられるように……応援してあげるだけ。 


花子は櫻子の、たった一人の妹なんだから。 


「ど、どしたの花子……?」 

「ん……なんでもないし。おやすみ」 


花子は自分の部屋のベッドに戻って…… 

そして、抑えきれない涙をぜんぶ枕にしみこませながら眠った。 


心が張り裂けそうなくらい……ひま姉のことが、羨ましかった。 

~ 


あれはいつのことだったか。 

夕飯の買い物のためにスーパーにいって、そこでひま姉に会った。 

一緒に話をしながら買い物をして……そして、おかしなことを言われてしまった。 


「櫻子は今日はバイトですか?」 

「えっ、バイト……?」 

「この前偶然ちょっとだけ会って、バイトしてるって聞きまして。どこでバイトしてるかは教えてくれなかったんですけど……」 

「…………!」 


花子はひま姉の言葉を聞いて、そこに何かすごくねじまがったもの感じた。 

すぐに家に帰って……櫻子に問い詰めた。 


「なんでひま姉に嘘ついてるの? バイトなんかしてないじゃん!」 

「……バイトがあるからって言えば、向日葵の誘いを断れるから」 

「どういうこと……ひま姉と一緒になりたいんじゃないの!? なのになんで避けてるの!?」 

「私だって一緒にいたいよ!! でも今向日葵に会ったら……今向日葵に甘えちゃったら、ダメになっちゃうかもしれないんだよ……!」 


櫻子は勉強机をドンと叩いて……ペンを持ったまま、頭を抱えて泣きだした。

この二人はわけがわかんない。 

一緒にいるために、無理やり距離を離そうとして。 

でも自分から離して、どんどん離れていってしまいそうなときは、また追いかけて近づいて。 


櫻子が、本当はいつだってひま姉を求めているのはわかってる。 

楓と電話してひま姉の様子を聞いたり、楓にこっそり鍵を借りて、夜眠ってるひま姉に会いに行ってることも知ってる。 

そうしてひま姉に気づかれないように元気を貰って、身を削って頑張ってるのは花子が一番よくわかってる。 


でも櫻子は……大事なことを忘れてるし。 


そんなに無理やりひま姉を避け続けて……ひま姉の気持ちを考えたことはないの? 


花子……櫻子の気持ちは実はよくわからないけど、 

ひま姉の気持ちなら、心の底からよくわかるんだし。 


大好きな櫻子に……会いたいって。 



「とりあえず……嘘をつくのだけはやめてあげてほしいし。ひま姉が可哀想だから」 

「…………そう、だよね」 


その日、櫻子はまた楓にこっそり借りた鍵で……眠ってるひま姉に謝りに行ったんだって。 


本当に、変な二人だし。 

~ 


楓ちゃんと電話して、花子ちゃんの美味しいごはんで元気を出して、撫子さんとも電話して。 


向日葵ちゃんになるべく会わないようさっさと学校から帰ってきて、でも真夜中には向日葵ちゃんに会いに行って。 


いつの間にか櫻子ちゃんの周りには、たくさんの光るパズルのピースが積み重なっていました。 



そろそろみんなでつなぎ合わせよう。 


輝かしい絵を形にしていこう。 


そんなときに、カラフルなクッキーを持った向日葵ちゃんが来てしまったのです…… 



楓ちゃんは、あのとき向日葵ちゃんと一緒にクッキーを作って、余計なことをしちゃったかもしれないと櫻子ちゃんに謝りました。 


でもクッキーを食べて嬉しかった櫻子ちゃんは、「そんなことないよ」と笑ってあげました。 


あのときクッキーを作らなかったらどうなっていたのでしょう……? それは誰にもわかりません。 



花子ちゃんは向日葵ちゃんと櫻子ちゃんのデートを取りつけてあげたあの日、櫻子ちゃんに少し怒られてしまいました。 


花子ちゃんは、櫻子ちゃんと向日葵ちゃんの距離をバランスよく保つ係でした。向日葵ちゃんが家に尋ねてきたときは花子ちゃんが玄関で応対して、櫻子ちゃんが勉強道具を隠す時間を稼いでました。 


その花子ちゃんが、二人のデートを取り付けてしまった……櫻子ちゃんは、「花子は私のことわかってくれてたんじゃないの?」と尋ねました。 


花子ちゃんは、わぁわぁと泣き出してしまいました。 


花子ちゃんはクッキーを受け取ったあの日から……いや、もっと前から今の今まで、向日葵ちゃんがどんな気持ちで櫻子ちゃんのことを想っているか……それを一番よく知っていたからです。 


「もっとひま姉のことを考えてあげて」……花子ちゃんは泣きながら訴えました。櫻子ちゃんはそこで初めて……花子ちゃんの気持ちを知ってしまいました。 


花子ちゃんが思う「ひま姉の気持ち」とは、櫻子ちゃんのことが大好きな花子ちゃんの気持ちそのものなのでした。 


「一日くらい、ひま姉を好きでいてあげて」……泣きながら言われたその言葉に、櫻子ちゃんは黙ってうなずきました。 


向日葵ちゃんのために、花子ちゃんのために。 

~ 


光のパズルは完成間近。 


でも櫻子ちゃんたちの前にあるパズルは、完成するにはピースがひとつ抜け落ちていました。 


このピースはどこに行っちゃったの? 


もしかして、どこかで落としてきちゃったの? 



「……そんなことはありませんわ」 


最後の1ピースを持った向日葵ちゃんが、いつの間にか櫻子ちゃんの隣にいました。 


ずっとずっと、大切に握っていたその最後のピース。 


綺麗にぱちりと当てはまり、二人は一緒になりました。 



「ただいま、向日葵」 


「お帰りなさい、櫻子」 



~fin~

【向日葵「葉桜の季節」】 



葉桜の色とは、何色になるのだろうか。 

白桃色の花びらは数を減らし、しかし芽吹く若葉色もまだそこそこ。むき出しになった枝の茶色が一番主張して……その三色が微妙に入りまじったコントラストを作っている。さすがに満開の時期よりも綺麗とは思わないが、なんとなく風情はある。 

窓際の席から見えるその何とも形容しがたいのどかな混合色を見ながら……私は後ろの席の元気な声たちにまた意識を戻した。 


「部活はどこか入るの? もう2年だし入りづらいかぁ……でもうちのとこだったら全然今からでも大丈夫だよ!」 

「う~ん、部活入るかは決めてないなぁ……私中学の時も入ってなくてさ。生徒会だったんだよね」 

「あっ、生徒会!? 古谷ちゃんも前そんなようなこと言ってたけど……もしかしてそこでも一緒だったり?」 

「そうそう。一年の頃からずっとね」 

「ほんとにずっと一緒だったんだね~、ねー古谷ちゃん?」 

「…………」 

「……ちょっとー、もしもしー?」 

「……えっ……あ、はい?」 

「もう聞いててよ~! 古谷ちゃんたちの話してたのにー」 

「あぁ……ごめんなさい」 


会話は思いっきり聞こえていたのだが、恥ずかしいので聞こえてなかったふりをしてからみんなの会話に加わった。 


私の後ろの席の女の子。そしてその机の周りを囲む三人の女の子。 

櫻子と、私の友人たち。 


中学を卒業して別々の高校に進むことになった私と櫻子だが、なんと櫻子は進学先の高校で猛勉強して成績を上げ、私がいる高校に転校してきた。 

本人は姉のツテのおかげというが、櫻子に身についている実力は本物であり……それらは全て、私のために励んだ結果だという。 


私の元に、戻ってくるために。 

「ところで次の授業ってなんだっけ?」 

「現文だよ~。あ、うちらの現文の先生面白い人なんだよ! たぶん今日も何か話してくれるから」 

「話?」 

「雑談というか、無駄話が多い先生なんだよね~。だからクラスごとに進行度の差がついちゃうこともあって……まあその話が結構面白いからみんなに好かれてる先生なんだけど」 

「良い先生が多いんだねー……あ、じゃあ私始まる前にトイレ行ってこようかな」 

「あーん私もいく~! 櫻子ちゃん一緒にいこ?」 

「あはは、はいはい」 


両の手に二人の友達を繋いで教室を出る櫻子を見送る。そんな私の後ろから声がかかった。 


「ふーるたーにちゃん?」 

「ん……はい?」 

「もう、なあにぼーっとしちゃって。二年に上がってから窓の外見てばっかりだね?」 

「そんなことないですけど……だって葉桜が綺麗なんですもの」 

「ふふっ……じゃあそんなことあるんじゃーん」 


櫻子にくっついてトイレに行った二人とは別の友人が、櫻子の席に残ってそこに座り……私を後ろに向かせて話しかけてきた。この子とは……いや、先ほどまでここにいた櫻子以外の三人は、去年1年間も私と同じクラスだった私の友人だ。 


「古谷ちゃんも櫻子ちゃんともっとお話すればいいのに。話したいこといっぱいあるんでしょ? 思い出話とかさ」 

「ん、まぁ……」 

「も~話しなよ話しなよ! ってか私たちもそういうの聴きたいし!」 

「ん~……」 


手持無沙汰に現代文のノートをぱらぱらとめくりながら、自分の中学時代を思い返す。 


「私、櫻子と学校でそこまでうるさくおしゃべりしたりはしてこなかったので……」 

「えーっ! うっそー」 

「本当ですわ。櫻子とは今まで何年もずっと同じクラスだったけど、あの子は昔から友達が多い子でしたから……学校ではいつも他の話し相手に囲まれていて」 

(そう……今みたいに) 

私たちのこの構図は中学時代のそれに酷似していた。 

私は櫻子の近くの席に座っていて、櫻子と誰かが話しているのをまるでかけっぱなしのラジオのように聴いている。時折櫻子が私をからかうような話題を挙げれば、「……ちょっと、聞こえてますわよ?」と私が言葉を入れる。 


櫻子の机はいつだって賑やかな友人たちに囲まれている。それはこの高校でも同じだった。 

ふつう、転校したての子というものはすぐには近づきづらい存在だろう。だが櫻子にそんな壁は無かった。話しやすくてどんな子にも笑顔で応えてくれ、フレンドリーの塊みたいな子だとわかるやいなや多くのクラスメイトが櫻子の机を囲んだ。特に私の友人たちなど、授業間の小さな休み時間でもほぼ毎回集まってくるようになった。 

この一年間味わっていなかった懐かしい感覚。友達を取られたような……いや、友達に櫻子を取られたような、でも構図で言えば昔と変わらないとも納得できる感覚。 


私たちの間で、あの中学のときと違うことといえば? 


それは……ここでは言えないこと。 


「でもさー櫻子ちゃんは古谷ちゃんに何か話したいこといっぱいありそうだけど? なんとなく」 

「まだこの学校のことでわからないことが多いんでしょう。じきに慣れますわ」 

「そういうのじゃない気がするんだけどな……?」 


取り立てて話すこともなく、口を開けば簡単に喧嘩に発展してしまったのが昔。 

話したいことが多すぎて、でもまだ「人前での接し方」がわからないのが今。 

話したいことなんて山ほどあるけど、誰かに聴かせられるような軽いものでもありませんので。 


廊下の方に目線を戻すと、先ほど出て行ったときと同じフォーメーションでトイレから帰ってきた櫻子と目があった。 

「この子たちには参っちゃうよ」とでもいいたげに、おかしそうに笑っている。 

私も穏やかな気持ちを、微笑ましく視線だけで返す。 


私たちにとっては、それだけでも充分立派なコミュニケーションだった。 

~ 


あれは三月の……いつだったか。 


早めに学校から帰ってこれた私は夕飯の準備をしていた。主菜の準備と並行して副菜、汁物の調理……少し忙しくしているところに、玄関が開く音が聞こえた。 

包丁で具材を刻みながら、振り向かずに私は「楓? おかえりなさい」と言った。次の瞬間腰元に突っ込んできた大きな塊に私は悲鳴をあげる。 

姿勢を低くしながらわざと驚かせるように抱き着いてきたのは櫻子だった。「こら、危ないじゃないの!」とは怒らなかった。怒れなかった。そんなことよりも先に大事なことがあった。 


慌てて包丁を置いて鍋の火を止め、櫻子が手にしっかり持っていた紙を見る。 


ちらほら目に付いた「100」という点数はもはやどうでもよくて、私が見たかったのは「1」の文字。 


学内順位の欄にある、「1」という数字。 


「さ、櫻子……っ!!///」 

「やったよ向日葵、私やったんだよぉ……!!」 


それは櫻子が私の元に帰ってくるためのパスポートだった。 

努力して努力してやっと掴み取った、燦然と輝く一位の判が押されたパスポート。 


櫻子なら大丈夫だと信じていた。そしてその時点なら櫻子も相当な自信を持っていただろう。 

でもついに掴み取ったそれが形になっていることが嬉しくて、この一年の壮絶な努力を見事実らせたこの子が愛しすぎて、私は思いっきり櫻子を抱きしめた。 

私に押された櫻子がしりもちをついてもなお強く抱きしめ続けた。櫻子も涙目で震えながら嬉しさをかみしめていた。楓が学校から帰ってくるまで、ずっとずっと抱き合っていた。 

春休みは毎日のように……いや、本当に毎日櫻子と一緒にいた。一緒に新しい学校にあいさつに行き、一緒に新生活の準備をした。 

撫子さんの制服を引っ張り出して試着して……足りないものも全部一緒に買い足した。何度目かのデートにも行ったし、みんなで一緒にお花見だってした。朝起きてから夜寝るまで、ほとんど櫻子と一緒にいた。 


今思えば、この一年の間に話したいと募った思い出話などは全部あの春休みに出し尽くしたかもしれない。 

櫻子の秘密だけでなく、花子ちゃんの気持ちや撫子さんのエピソード……一年間ずっと私に秘密を守り抜いた楓の本心も全部聞いた。あの時だけでも、同じ話を何度も何度も繰り返し聞かされた。それでも私たちが話に飽きることなんて一向になかった。 


そして今から先週ほど、櫻子が転校生としてこのクラスにやってきた。私だけは知っていたその事実……知っていたのに、改めて「ただいま」と言ってきてくれた櫻子に涙を抑えきれなかった私を、私たちを見たクラスのみんなは衝撃を受けただろう。その噂はあっという間に学校中に行きわたって、そしてこの春という始まりの季節にすぐに溶けていった。 


つい一週間ほど前のことなのに、情景的に過ぎ去っていったのが原因なのか、それともあれからの一週間が濃すぎるのか……ずいぶんと昔のことのように思い返される。 



もう何度も振り返ったそのシーンたちに想いを馳せていると、ちょんちょんと背中をつつかれた。 

先生に気にされないよう少しだけ身体をひねって振り返ると、いたずらっぽく微笑む櫻子が小さな紙を渡してきた。 

折りたたまれたそれを両手でこっそり開いていく……どうせ真面目な内容は書いてないのでしょうと想像してたのに、案の定の文字が出てきた私は思わず笑顔を隠し切れない。 


『今日の夕飯なに?』だなんて……そんなの今聞くことじゃなさすぎるでしょう! 



「それじゃあここを……そうね、大室さん読んでみてくれる?」 

「わひゃいっ!?///」 

「今のとこから次の形式段落まで。はいどうぞ」 

「はい! えっと……こほん」 


ほーら、こんなことしてるからばちが当たるんですわよと私は心の中で笑う。しかし誰かに頼らなくとも自分一人で読み上げる範囲を覚えているあたりは、さすがに昔と違った。 


変わってるようで変わってない、私と櫻子。 

変わってる部分も変わってない部分も何もかも嬉しくて……昔と変わったのはどこか、変わってないのはどこかを探しあうのも楽しくて、全部愛しさとなって募っていく。 


櫻子は指定された範囲を綺麗に読み上げた。ほっと一息ついて席に着くその机に、ぽいっと紙を放ってあげる。 

ああ、前の席じゃなくて隣の席だったら……この子の嬉しそうな表情が見れたのに。 

でも恥ずかしがってしまう私の赤面を隠せるから、ここはここでいいのかもしれない。 


『ハンバーグ。』とだけ書かれた紙だけど……その辺に落っことしちゃダメですからね? 誰かに見られたら恥ずかしすぎますから。 

~ 


学校であまり話さないのは、単純に人前では話すことが思いつかないから。 

でも知り合いのいない二人になった途端……どうしてこんなにも言葉が出てくるのだろう? 

櫻子と一緒の通学時間はそんな楽しみのうちのひとつだった。学校であった事などを話しながら一緒に帰る……この一年退屈だと思っていた電車通学の時間も、櫻子と一緒なら大切なひとときに思える。 


「向日葵さ、なんで『古谷ちゃん』って呼ばれてんの?」 

「さぁ……最初に誰かにそう呼ばれて、気づいたらみんなその呼び方になってましたわ」 

「私は聴き慣れないからびっくりしたよ。逆に『向日葵』って呼んだら『誰のこと?』なんて言われちゃったし」 

「ふふ……でもこれでも仲良くやってましたのよ?」 

「それはわかる! みんな良い子だもんねー……向日葵のこと大切にしてくれてる感じ、すごく伝わってきた」 

「妬きました?」 

「くふふ……それこっちのセリフ! 向日葵、私に友達取られちゃったって感じてるんじゃない?///」 

「意外とそんなことはありませんわよ。櫻子を友達に取られた感じはしますけどね」 

「そっちかい! まあ……今はちょっとしょうがないよね。私も一応てんこーせーだしさ」 


手を頭の後ろに回し、得意気に足を組む櫻子。この子は自分が転校生だから気にされていると思っているようだが……きっとクラスメイトたちが櫻子に近づいているのはそれだけではないだろう。 

確かに私がいつまでもうかうかしていたら、関係の薄い人がどんどん割り込んできてしまうかもしれない…… 

櫻子はこうして私の元に戻ってきてくれたのだから、私だって櫻子に歩み寄ってあげなければ。 

電車を降りて駅を出て、自宅までの道を歩く。一応周囲に人がいないのを確認してから、隣を歩く櫻子に半歩近づいて話してみた。 


「私たちのこと……みんなは、どう思ってるんでしょうね」 

「どうって?」 

「いえ……同じ中学を卒業しただけの二人って思われてるなら、ちょっと考えを改めないとって……」 

「え、どゆこと?」 

「だ、だからその……櫻子にぐいぐい来る女の子がこの先現れてしまうかもしれませんから、ただの友達同士じゃないんだってところを見せる……というか」 


自分ではわかりやすく言っているつもりなのに、櫻子はばかみたいにぽかんとしている。以前よりも勉強ができるようになったからといって、勘の鈍さまで養われるわけではないのか……そう思った私は、いっそストレートに伝えてしまおうと勇気を奮った。 


「わ、私たちの関係を……おおやけに付き合ってることにしちゃってもいいんじゃない? ってことですわよ」 

「…………」 


せっかくまじまじと目を見てこんな恥ずかしいセリフを言ったのに、櫻子はまだぽかんとしている。それどころか私も予想しなかったことを意外そうに言ってきた。 


「え、私たちが付き合ってることって……みんなまだ知らないの?」 

「はぁ……!? そりゃあそうでしょう、言ってませんもの!」 

「うそー!? 私もうオープンに知られてるもんだとばっかり!」 

「そんなわけないじゃない……! 確かに付き合いが長いことくらいはもう皆も知ってるかもしれませんけど、誰もそういう関係だなんて思ってませんわよ!」 


いったいどんな思考手順を踏んでその結論に至ったのかはわからないが、櫻子は大きく驚愕していた。思わず呆れてしまう。 

「こっちに転校してくる前から私のこと知ってた子が何人かいたからさ、てっきり向日葵が話してたもんだとばっかり」 

「確かに話はしましたけど、付き合ってるってことまでは言ってませんわ……だいいちその時まだ付き合ってないですし」 

「櫻子っていう大好きな子がいるんですわ~とか言ってたんだと思ってたよ」 

「そんなバカみたいに言うわけないじゃないの! 大切なことだし……誰にも詳しくは言ってないですわよっ」 

「大切なこと、か……」 


何気なく言ったその一言をすくいあげられ、恥ずかしくなって思わず櫻子の顔から目を逸らしてしまう。 

しかし次の瞬間櫻子はセカンドバッグを持っていない方の私の手をぱっと取ると、真剣な目で聴いてきた。 


「確認なんだけどさ、私たち付き合ってるんだよね?」 

「なっ……///」 

「今更すぎて『付き合おう』なんてここまで一回も言ってこなかったけど……この際はっきりさせとこ?」 

「こ、こんな道端で?」 

「こんな道端で」 


櫻子が決してからかってるわけじゃないことは声のトーンからもその眼差しからも充分伝わってきた。 

それにしてもムードとかはもうちょっとあってもいいんじゃないだろうか……小さくため息をつきながらも、大切に言葉を紡ぐ。 

「ええと、その……付き合って、ください……///」 


「おし、おっけー!」 

「…………はぁぁ!? おっけーってなんですのよ!」 

「これでおっけーでしょ? 私たち付き合ってることになれたね♪」 

「もう……!」 


十何年もの付き合いの中で生まれて初めて言ったこの大事すぎる言葉を「おっけー」で受け取られてしまった私は一瞬もやっとしかけたが、同時に大きなわだかまりが消えていくようにすぅっと何かが解けていく気もした。 


「そうだよ。私たち付き合ってるんだよ。それでいいじゃん」 

「?」 

「周りがそれを知ってようが知ってまいが関係ない。私と向日葵だけが知ってれば充分なこと……みでしょ?」 

「でもそれだと、誰かが櫻子に馴れ馴れしく近づいてきたときにどうすれば……」 


「だーかーらー、もう心配性だなぁ向日葵は……」 


櫻子は急に立ち止まったかと思えば、握っていた私の手を持ち上げるように寄せて……バランスのとれなくなった私は社交ダンスのようにくるりと回されてから、櫻子に倒れこんでしまった。 

そしてそんな私ごと、ぽすんと優しく包み込む。 


「きゃっ! ちょ、ちょっと!」 

「向日葵は私の前の席だから……私のことが見えないから、だから心配性になっちゃってるのかなー」 

「な、なにが?」 



「私、ずっと向日葵しか見てないよ?」 

「!」

「向日葵から私は見えないかもしれないけど、私はずっと向日葵を見てるんだよ。どんな子と話してたって向日葵のことしか見えてないし、向日葵が視界からいなくならないように気を付けてるくらいだもん」 

「えっ……」 


「向日葵に会いたかった。向日葵の傍にいたかった。だから一年間も死ぬ気で頑張ったんじゃん! 全部全部向日葵のためなんだよ?」 


「他の誰が来たって、この気持ちは……もう一生動かない。忘れちゃわないでよ……私が向日葵を大好きってこと!」 

「ぁ……///」 


櫻子は私の胸にきゅっと顔をうずめると、すぐにまた手をとって家までの道を元気よく歩き出した。 


確かに私は忘れていたのかもしれない。私が櫻子に想う気持ちはいつも一方的なものだと……長い間勘違いしていた。 

素直になれずに反発していた中学時代。あの頃からだって本当の気持ちは変わっていないはずなのに……私はまだ櫻子からの愛を受け取ることに慣れていないだけだった。 


「け、決して忘れてるわけじゃ、ないんですけどね……」 

「ん?」 

「いえ……じゃあ櫻子も忘れないでくださいよ? 私がいつだってあなたを気にしてること」 

「忘れるわけないじゃんそんなの。だって私たち付き合ってるんだから!」 

「ふふっ……///」 



私たちが一緒に歩む新しい時間は、まだまだ始まったばかり。 

この先どうなるかなんてわからない。また喧嘩のひとつもしてしまうかもしれない。 

でも……こうして隣から愛を伝え、あなたからの愛を受け取っているだけで……それだけで私は、永遠ともいえる時間にだって立ち向かっていける気がした。 


当たり前にしたいようでいて、決してその新鮮さも忘れないでいたい、胸の奥がきゅんとする気持ち。 

これからもずっとずっと、噛みしめていきたい嬉しさ……

「忘れないようにさ、毎日お互い『好き』って言ってくことにしない?」 

「もう、バカップルじゃないんですから……やですわよそんなの」 

「向日葵が言わなくても私が言っちゃうもんねー! 向日葵だいすき♪」 

「……はいはい」 

「こらー! ちゃんと好きって言え!」 

「はぁ……大好きですわよ、櫻子」 

「うんっ、私も大好きだからね~」 


「何やってんだし二人とも……」 

「うわぁーーっ!? は、花子っ! 楓!」 


気づけば私たちは自宅の前まで到着していて、そして後ろには花子ちゃんと楓が一緒にいた。 

二人して呆れたかのような目をこちらに向けてきている…… 


「き、聴いてましたの!? どこから!?」 

「おねえちゃんが付き合ってくださいって言ってるあたりから、ずっと後ろにいたの……」 

「結構前じゃんか! なんで言ってくれなかったの!?///」 

「単純にバカップル二人の視界が狭すぎただけだし……いいから早く家入っちゃってよ」 

「い、今のは全部誤解ですからね? 私たち別にそんなつもりじゃ……」 

「はいはい、言い訳はおゆはん食べながら聴くの♪」 

「ちょっ、楓まで~!」 


妹たちに背中を押され、大室家へと帰宅した。 


今ではもう……みんなで一緒にこの家に帰ってくることのほうが、当たり前になりかけている。 


~fin~ 


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